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日本の統治構造(3)空洞化する内閣

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Kokoro (@Oui0128) / X

お久しぶりです。今回は『日本の統治構造』の3回目ということで、空洞化する内閣について書いていきます。

 

 議院内閣制の原理を確認すれば、議会による首相の選出という点において、日本政治の最高意思決定者は首相であることは明確です。それ故に、議院内閣制は19世紀から20世紀にかけて首相中心の内閣という形で広まっていきました。

 戦後GHQによって制定された日本国憲法でも、強い権力を持った首相中心の議員内閣制を目指して作られました。特に分かりやすいのは、大臣の職能は『主任の国務大臣』として法律や政令に署名するとしか記述されていませんが、総理大臣に関しては、『内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する』とあります。この中でも行政各部の指揮監督に関する記述は重要で、この記述を強く解釈すれば、総理大臣は行政の仕事を各省庁官僚を使って行政事務を実施する権限が与えられていると解釈できます。実際のところは、当たり前のように各国務大臣が各省庁を指揮監督しているのですが、憲法にはどこにもそういった大臣の権限の記述はありません。

 ところが憲法を受けて制定されているはずの内閣法では、戦前の権力分散的な内閣を思わせる条文があります。内閣法第3条に『各大臣は、別に法律の定める所により、主任の大臣として行政事務を分担管理する』といきなり総理大臣と他の大臣を区別せずに、各大臣による行政の分担管理が記述されています。この条文を強く解釈すると、総理大臣の権限は大きく制限されることになります。先の条文に倣えば、総理大臣は内閣府の長としての権限しか持っておらず、その他の省庁に対する指揮監督権を行使できないことになるのです。少し前までこういった解釈をもとに、総理大臣が自ら閣議に議案を提出することはほぼありませんでした。90年代後半に行われた行政改革によって『内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議する事ができる』とわざわざ内閣法に書き込んだほどです。このような強い分担管理が行われている内閣では、各大臣がそれぞれ別の基盤を持って集まる場所だと考えられてしまいます。このような状況では、有権者から続く信任の繋がりは断たれてしまいます。官僚からなる各省庁の代理人である大臣が集まる内閣である『官僚内閣制』は分担管理の原則によるところが大きいのです。

 

 最近になって問題に上げられるのですが、閣議で行われるのは署名だけなのだといいます。各省庁の官僚によって根回しが終わった案件を追認するしか仕事がなく、主な仕事は法案や政令に花押という日本古来の特殊な署名をするだけなのです。もちろん、事前の根回しに大臣も含まれている以上、こうした決定がおかしいわけではありません。しかし、会議としての閣議が機能していないのは大きな問題をはらんでいる。大臣同士が話し合って上層部で決断が行えれば政治的な判断を含んだ決定ができるが、官僚に根回しを任せてしまえばどうしても微調整にとどまってしまいます。

 閣議がこうなってしまった背景には、それなりの理由がありました。内閣が連帯責任を追っている以上、その決定は全会一致が自然になります。憲法のもとでは、総理大臣が基本的な方針を共にする大臣を任命し、内閣を構成します。総理大臣を中心にして意思決定を行うなら全会一致でも特に不都合はなく、極端な場合には意思統一のために意見が違う大臣を御免することもできるのです。それを前提にすれば当初意見が違っていても、討論の結果として意見が全会一致で方針を決めるのがあるべき閣議の姿となります。

 全会一致が問題になるのは、大臣それぞれが独自の意見を持っており、しかもそれを変更する手段がない場合です。戦後日本の内閣制はまさにそういった各省庁の代表が集まる内閣として機能していました。そこでそのまま討論しても、全会一致になるはずがないのです。全会一致が求められていて、好きに意見が述べられるなら、いくらでも譲歩を引き出す事ができます。そうなると、事前に根回しをして妥協案を探してからそれに沿って全ての大臣や省庁の合意を取り付けてから閣議に提出するのが、閣議決定するための条件になります。閣議までに合意を得るために必要だと言われているのが、閣議の前日に開かれる事務次官会議です。そこで反対が出なかった案件だけが、閣議の議題とされる慣行があるのです。それ故に、この事務次官会議こそが官僚支配の象徴として語られるのですが、こういった一つ一つの観光に問題があるのではなく、内閣や閣議の性質に対する誤解を解かない限りは事務次官会議を廃止しても、実態が変わるとは思えません。

 このように、議院内閣制における『議院』の意味をよく理解しないと、議院内閣制が議会を通して国民の信任を受けて行政を行う仕組みであるというのを忘れてしまいます。議院内閣制という言葉を使いながら官僚内閣制として理解し『議院内閣制だから首相はリーダーシップを発揮できない』という考えが広まってしまうのです。

 さらに、『政治』と『行政』という言葉の使い分けも混乱を引き起こしている原因の一つです。政治と行政を比べた場合、それぞれを担うのは政治家と官僚であると考えるのは自然だと思います。しかし、それと関連した『立法権』と『行政権』という言葉を政治と行政に当てはめてしまうと、政治家が立法権を担い、官僚が行政権を担うということになってしまいます。しかし、議院内閣制では政治家が立法府を構成するとともに、立法府の政治家のうち一部が行政府の上層部を構成します。つまり、立法府と行政府の主体は政治家でなければならないのです。そして、政治と行政という区別は行政府の内部における仕分けなのです。行政府の方針を決めるのは政治家の仕事ですが、それを実施するには政治的に中立である官僚が行うことが

大事になります。行政の政治的な中立という原則はまさにこういった所で有効になるのであって、行政権自体は政治的に中立であるはずがないのです。