アウトプットまとめ

色々な本、動画について思ったことを書きます

日本の統治構造(8)各国の政治体制の比較

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お久しぶりです。今回は『日本の統治構造』(著 飯尾潤)の8回目ということで各国の政治体制について比較していきます。

 

 イギリスは近代議会制、議院内閣制の発祥の地であり、早い時期から立憲制や民主制が根付いた国でもあります。それ故、アメリカやフランスと言った例外を除いたほとんどの欧米諸国がイギリスの制度を模倣しています。イギリス政治を見る場合に注意しなければならないのは、早期に成立した絶対君主制と議会が争い、議会が次第に王権から権力を奪っていったという点です。それに加え、イギリス王権は早期に官僚制を作り出すことに成功していて、基礎固めされた官僚制は当初は絶対君主制の、のちには政府の道具として機能することになります。

 現在のイギリスの統治体制が出来上がったのは、17世紀の内乱を経て、1688年の名誉革命で議会が勝利したことにあります。議会が実権を握りながら、国王の名の下で統治する体制が出来上がってくると、議会の中の党派が行政権を奪い合うようになります。ここに二大政党制が成立します。19世紀になり、保守党と自由党の二大政党を前提に次第に選挙権が拡大されていき、議会は民主制の舞台として機能するようになっていきます。同時に二大政党の組織化が行われ、次第に党首に権力が集中していくようになり、イギリス型の議院内閣制は首相に強大な権力を渡すようになったのです。さらに選挙における公約も整理、プログラム化されていき、『マニュフェスト』が政権運営に重要な意味を持ってくるようになります。ここに総選挙で政党、首相候補、マニュフェストを選択するイギリス型の選挙が定着することになったのです。

 一方で『政府』は選挙に勝利し、議会の多数派を占めている政党の幹部が構成する内閣のことを指すようになります。イギリス型の議院内閣制とは、期間限定で強大な権力を認め、政党同士の競争によって緊張感を保つという仕組みなのです。選挙においては、全国的に労働党、保守党、自由党という三大政党争っていて、議会は二大政党制ですが、社会全体を見ると単純な二大政党制ではないのです。また議会においては多数決が採用されているため、政府が提出する法案はほとんど成立しますが、その過程においても活発な討論がなされます。このようなイギリス型の政治の仕組みは議院内閣制の理念型としての地位を占めています。

 

 アメリカはその独立の経緯からイギリスの強い影響を受けながらも、それとは違う方向を目指しています。何よりも独立戦争は、植民地の独自性を認めないイギリス議会に対する反乱であり、『代表なくして課税なし』という言葉がスローガンとして機能したのも強大なイギリス議会を存在を抜きに理解することはできません。そもそも独立を果たしても、連邦制の導入にには反対も多く、憲法制定の課題は連邦政府の規模と権力の抑制でした。その為、合衆国憲法はさまざまな権力分立策をとっています。連邦政府の権限は憲法の条文で委託された項目に限定されており、立法、行政、司法の厳密な分立制も定められています。立法権に関しては、権限の対等な二院制に分けられ、両院の意見が一致している場合のみ法が成立します。その立法についても大統領に拒否権が与えられるという抑制的な制度になっています。外交や軍事に関しては大統領に権力が集中していて、緊急時には大統領に権力を集中させ、平時は抑制的な議会が立法した事項について政策実施していくことが求められていました。

 実際に政府が成立すると、大統領選挙などのために党派対立が生じ、それが政党の形をとるようになります。権力分立制のもとで議員の行動もバラバラではありますが、大統領選挙に際しては全国が政党化され、各地において一定の安定した政党組織を有する二大政党制が政治基盤として確立しました。第一次世界大戦の参戦するなど国際政治の舞台に上がり、経済大国化したアメリカでは行政府の役割が重いものになっていきます。また各州における都市問題への対処や産業基盤整備のための政策など、それに対応しなければならない連邦政府の仕事の範囲も広がっていきました。そして、大統領が外野軍事を一元的に処理する立場に置かれているため、経済大国化したアメリカでは大統領の役割が重くなっていきました。

 1930年代の大恐慌後の経済再建と、ルーズベルト大統領によるニューディール政策、戦争指導が相まって、連邦政府は巨大な行政国家化していき、それに合わせて大統領の重要性が明確になっていきました。以後、大統領は積極的に政策の立法の主導や司法に対する一定影響を与えるようになってきます。また、議会においても大統領の任期によって議会選挙が左右される現象が起きてきて、大統領の議会への影響は無視できないようなものになっていき、厳格な三権分立の原則が緩やかに崩れていったのです。それでも権力分立が顕在化するのは、大統領職や議院を異なる政党が制する『分割政府』が起こった時です。アメリカ政治の特色とは、常態化する分割政府状態を前提に、複雑な駆け引きによって政治活動、立法活動が行われている点にあるとも言えます。このように、アメリカの政治体制は建国期に想定されたものとは全く違う形に移行しています。その意味で大統領優位の政治形態は歴史的経過を辿って形成されたものであると理解しなければいけません。

 

 フランスは長い伝統を誇る国ではありますが、政治体制の変更が多く、現在の政治体制は欧米先進諸国の中で最も新しいものです。フランス近代政治史は、18世紀末のフランス革命に始まりますが、革命で樹立された体制は議会中心とも呼べるようなものでした。その後、さまざまな体制を経験し、フランスの政治体制は第三共和制(1870 - 1940)、第四共和政(1946 - 58)として元首としての大統領が存在していたものの、基本的には議院内閣制の国となりました。ただ、第三、第四共和政は内閣が安定しない政治体制でした。議会には数多くの政党が乱立しており、離合集散がしばしば起こっていました。一旦成立した内閣も、連立政権を構成する政党が何らかの理由で政権離脱することによって、短命に終わることもありました。

 そしてついに、1958年のアルジェリア危機において政権が軍部の統制に失敗すると、第二次世界大戦の英雄でもあり、軍人政治家としての実績もあるシャルル・ド・ゴールに内閣の組織が委ねられ、第四共和政は終わりを迎えます。これにより成立した第五共和政は政治制度としては分かりにくいと言われています。大統領が直接公選になり、大統領任命の首相が組織する内閣が残ったからです。この内閣は議会の信任を必要としており、議院内閣制的な側面も持っています。そこで大統領に議院内閣制の要素が加わっているという意味で、フランスの政治制度は『半大統領制』と呼ばれています。シャルル・ド・ゴールが大統領であったときは、圧倒的な威信によって議会選挙においてもド・ゴール派の諸政党が多数を占めました。だが彼の後継者の頃から、大統領の支持基盤となる政党と、議会で多数を占める政党が異なることがしばしば起こることになります。これを『コアビタシオン』と呼びますが、これによって半大統領制が機能不全に陥る可能性が出てきました。

 しかし大統領の地位が保障されているため議会側も関係を調整せざるを得ず、また逆に大統領も議会なくして政権運営が出来ないため、双方の妥協が図られるようになります。コアビタシオンの際には、外交、軍事に関しては大統領が責任を持ち、内政については内閣側が責任を持つという住み分けが行われるようになります。ただ近年の傾向では、複数存在した政党も二大政党に整理されるようになり、二大政党の激突である大統領選挙を軸に議会選挙も連動するようになったのです。このように、半大統領制は、その制度の複雑性にもかかわらず、政権選択という点を軸に議院内閣制の利点と大統領制の利点を兼ね備えた性質を帯びるようになってきました.

 

 先にイギリスとアメリカの政治体制を紹介した際、イギリスの議院内閣制が権力の集中をもたらし、アメリカの大統領制が権力の分散をもたらすということを見てきました。しかし、例えば日本と韓国の政治体制を比較した場合、日本の議院内閣制が権力の分散をもたらし、韓国の大統領制が権力の集中をもたらすという興味深い関係にあります。この二つの例を見ただけでも、議院内閣制と大統領制のもたらす結果が一様ではないことがわかります。

 韓国の大統領制アメリカと比較した際の大きな違いは、権力分立という概念の定着どの違いが挙げられます。アメリカでは中央政府の権力を抑制することが強く意識されているのに対し、韓国では伝統的にそうした法の観念が弱いのです。また議会制の伝統が浅く、議会が国民統合の主役となることは少なく、むしろ大統領への人格的な期待が民主制への移行前から強い傾向にあります。韓国では大統領主導によって形成された政党が与党として、議会の運営でも中心的な役割を担うことが多かったです。大統領が議会をコントロールすることに疑問が無く、政党や議会が大統領に対抗する役割を果たすことは少なかったのです。

 この場合、憲法の規定で大統領の留任を認めない『単任制』が大統領への抑制として期待されていました。しかし大統領が後退するたびに、前任者やその親族たちによる不正が告発され、前任者の権威が失われた事実を考えると民主的な権力移譲が制度化されていないと言わざるを得ません。こうした権力分立ではない大統領制ラテンアメリカなどでも広がっています。ただ多くの場合において大統領中心制は議会制や政党政治が必ずしも確立していない国で見られ、また立憲制が浸透していないため、容易に強権政治へと逆戻りする例も少なくありません。民主制や立憲制の定着との関係で注意深い観察が必要なのかもしれません。

 

 このように権力の配置から政治制度を見た場合、議会制が定着していれば議院内閣制の集中を指向し、大統領制は権力分立を指向しますが、もう一つ注目しておかなくてはいけないのは行政権の構造です。イギリスでは政治権力がする傾向にありますが、政党政治が弱い場合には別の力が働きま、。立法権と行政権が融合していく中で、行政権が分散的傾向をとることによってバランスを取る側面があるとも言えます。それに対して、アメリカでは行政権は大統領に集中するため、実効性はともかく権限の上では大統領に権力が集中し、極めて強い権力核が現れます。このように行政権の内部構造に着目すると、イギリス型の議院内閣制とアメリカの大統領制との関係は、前者が分散的で後者が集中的というように政治権力と逆転した関係が成立します。議会にまとまりがなく、安定した内閣基盤を作ることが難しかったフランス第四共和政の危機を大統領制の導入が救ったのも、国民の指示で権威を得た大統領の下に行政権力を集中することで、権力核を作り出したことにありました。

 しかしこうした体制がうまく機能するためには、大統領選挙を有効に行いえる安定した政党と、競争にさらされる政党システムの成立がなければなりません。大統領制で実績を上げるためには、議会との調整をいかにこなすかという課題が大きいです。この課題は議会の権力が弱ければ問題にならないように見えますが、議会が弱いことは代議制の構造が弱いことであり、民主制の定着との関係で問題を生じさせる可能性も高いです。このように考えると、直接公選や行政権の集中だけで、権力の集中が達成されるわけではありません。必要な権力核の創出と民主的なコントロールの確保が実現するかどうかは、政治権力の配置だけではなく、社会的な状況、政党の支持基盤などの要素、国民の価値観などの要素が関係してきます。実際、アメリカの権力分立制が近年大統領中心の政治体制の移行しているところを見ても、現代においては権力分立制の貫徹は困難であると思われます。

日本の統治機構(7)政権交代無き政党政治

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お久しぶりです。今回は『日本の統治構造』(著 飯尾潤)の7回目ということで政権交代無き政党政治について書いていきます。

 

 議院内閣制が機能する為には、政党政治の確率が不可欠です。世の中にはありとあらゆる利害や意見があり、そのような意見を議会に反映し、まとめるかが問題になります。議会に多様な意見がある場合でも、結果を出す為には誰かが説得されて意見を変える必要が出てきます。しかし、議員は自分の意見に忠実なだけでは務まりません。なぜなら、議員は支持者からの委任によって選ばれるため、ある程度の行動は縛られることになるのです。議院内閣制では、議会に政権の基盤があるため、政権党は政権を擁護する議決を行います。そのため、議員の行動も政党の枠組みに縛られる割合が大きいです。どのような規模の政党でも意見調整、集約を行うことは必要であり、政党の役割は世の中の意見や利害を集約して有権者に選択肢を増やすことにあります。現代の民主制は政策の良し悪しを比較するために、自由な競争の中で無理にでも複数の選択肢を作る競争的政党制を取っています。

 

 民主制の中でも議院内閣制と大統領制では政党の意味が変わってきます。大統領制では民意集約としての意味もありますが、権力獲得手段としての側面が大きいです。なぜなら議会と大統領という二つの違った方法で民意が選ばれるため、政党単位で民意を集めることに合理性がないからです。それに対して議院内閣制では、健全な政党政治が不可欠な要素となります。政権の基盤が議会に置かれるため、議会の支持がある程度安定化しなければ政権が安定しない為です。そこで議院内閣制では、ある程度安定した議会内における多数派が存在することが重要になります。選挙によって選ばれた多数派が内閣を支えるならば、内閣が民主的正当性を主張できるため議会内の多数派が選挙によって選ばれることが好ましいです。その安定した多数派を生み出すために、政党が必要なのです。

 民主制のもとで選挙で政権を選ぶ為には政党政治の確立が求められます。なぜなら、有権者の組織化、選挙活動、議会における議員活動の拘束、役職の配分と言った機能を政党が一貫して行うことで、政治家の行動に規律を与え、有権者の選挙における選択が選挙後の政治に強い影響を与えることができるのです。各政党が固有の基盤を持っていて議席が変動しにくい場合には、選挙後の連立交渉のよって政権が成立することも多いです。その場合は選挙での選択がそのまま政権の選択には繋がらないため、民主化の度合いは低くなります。そこで選挙による政権選択は二元代表制固有の仕組みであると考えがちですが、選挙前の連合の成立などによって他党制でも十分に民主的な政権選択選挙を行うことは可能になります。

 こういった一般の理論を照らし合わせた時、日本の議院内閣制の決定的な欠点が明らかになります。それは特定の政党が政権を独占する一党優位制が長期に渡り、政権選択選挙が意味をなしておらず、有権者の選択によって首相や内閣が成立するということが非常に少なくなったということです。政権の座をめぐる争いは自民党内の派閥抗争によるところが多く、有権者の多くは傍観者として眺めるだけになっていた。このような状況では首相や内閣が民意の支持を頼りに明確な政権の方向を打ち出すことは難しく、官僚の統制という面からも、民意に基づいて成立したという正当性を有していないことは大きな限界となっていました。

 日本において一党優位制が長期間に渡って続いているという問題は一見簡単なように見えてとても難しい問題です。かつては『自民党による独裁』『自民党による政権独裁体制』と言われていましたが、日本の政治体制を鑑みるとこう言った言葉は適切ではありません。政治学では価値中立的に自民党による長期政権のことを『一党優位制』と表しています。民主的に公平な選挙の結果によって選ばれているため、一党独裁体制とは明確に違うものの、一党が長期にわたって政権を維持し続け政権党が変わるという意味の政権交代が起こらない状況を指しています。

 自民党が長期に渡って政権を維持できたのにはいくつか理由があります。例えば、『疑似政権交代』としての首相と内閣の交代です。議院内閣制では総選挙において多数党が勝利することが首相や内閣の交代に繋がるのが通例です。しかし、自民党長期政権においては自民党の総裁選挙で交代することが多く、首相交代と総選挙の繋がりは薄くなっていきました。ですが、首相や内閣が交代することは見かけ上の政権交代イメージを与え、政策の方針転換のきっかけになるなど実質的な意味も大きくありました。しかし、自民党総裁による政権交代に大多数の有権者は関与できません。その為、首相選びは自民党の都合で決まることが多く、大対数の有権者は観客となってしまうのです。

日本の統治構造(6)日本政治における与党の役割

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お久しぶりです。今回は『日本の統治構造』(著 飯尾潤)の6回目ということで日本政治における与党の役割について書いていきます。

 

日本における与党といえば、長らく総理大臣を輩出し続けている自民党といえば問題ない時期が多かった。最近のように連立内閣が続くと連立与党と言う場合もある。つまり、与党とは政権を担っている政党ということになる。しかし、この言葉にはある問題点があったのです。

 日本における『与野党』を世界ではどういったふうに訳すのでしょうか。例えばイギリスの場合は、GovermentとOppositionという。これを字義通りに訳せば『政権党』と『反対党』になる。総選挙で勝利した政党が政権を担うので、それを政権党というのは分かりやすいでしょう。他のヨーロッパ諸国では議会における多数派、少数派という区別で呼ばれる場合が多いです。アメリカでも議会における多数派、少数派というふうに分けられていますが、上下院で多数派が違うことも多いので通常は『共和党』や『民主党』といった固有名詞が使われます。アメリカのように大統領と議会それぞれが国民のよって選ばれる二元代表制では、必ずしも議会の多数派が政権を担うわけではなく、大統領が必ずしも議会で有力な政党の代表者ではないことを表しています。

 日本の場合、一般的には与党と政権党は同義のように思われています。ところが『政府、与党連絡会議』というものが存在します。これは、文字通り明確に与党側と政府側が連絡を行うための会合であり、両者を分けて考えるものです。政府とは政権のことであり、それを与党と分離して考えるのは不自然です。与党の『与』は『与る』という意味を持ちます。戦後の日本憲法において、政権党と同じような意味付けがされましたが、元々『政権に与る党』という意味を持っていたのです。したがって『与党』は政権そのものではないものの、極めて近い関係にある政党という意味になります。

 

 こうした与党の特徴として挙げられるのが党本部です。自民党の国会議員にとっては、党本部における会合がその活動の中心になっていることが多いと言われています。国会審議はそのほとんどが形式的なものが多く、国会議員にとっては魅力的に映りません。それに対して、自民党本部で行われる会合では政策の内容について意見できるとともに、省庁や他の議員との利害調整など様々な政治活動の舞台になっています。このように、日本の政治の特徴は多くの活動が党本部で行われていて、自民党ではほとんどの立法活動を党本部が担っています。

 他の国々でも政党によっては大規模の党本部を持っていることはあるが、これほど党本部での政策審議が重要な意味を持っている国は珍しいでしょう。通常の議院内閣制では、政権党は政府機構や官僚を使って政策立案、実施を行うことができます。選挙における公約作成などを除けば政権党における党本部での政策審議機能などは不要なはずです。その意味では政党本部に国会議員が常に集まる日本は異例です。これまで述べてきたように、現在の日本は『官僚内閣制』であるために、与党議員による政府への統制が十分ではありません。それを補うために、彼らは党本部に機能を集中させ、内閣の代替としながら官僚制を統制しようとしているのです。

 この自民党において与党政策活動の中心になっているのが、政務調査会(政調)です。政調は総会である政調審議会(政審)と部会、調査会からなっています。そのうち部会は、農林部会や防衛部会など各省庁ごとに構成されていて、関連省庁の政策を扱っています。こうした部会は、所属議員は決まっているものの課題応じて自民党の議員が自由に出入りできます。それに対して調査会は、特別の課題に応じて設置され、ある特定の調査会を基盤に活動している議員も存在していて、分野によっては調査会の方が重要な意味を持つ場合もあります。ただ、手続き上は、部会が正式な期間であるため、部会の議を経ることは不可欠です。そしてこの政調の総会にあたるのが政審であり、成長の意思決定はここで行われます。この他にも党務全般についての意思決定を行うための総務会があり、自民党の国会議員を拘束するためには総務会決定が必要なことから、自民党の意思決定に関する最後の関門として機能しています。

 

 ここで重要になってくるのが、過去に自民党が派閥と人事システムが制度化されたことです。派閥は自民党結成以来、自民党政治とは切っても切れない関係にありましたが、1980年以降に大きな変化を迎えました。従来の派閥は首相を目指す政治家が個人で作り上げ、維持するのが普通でしたが、それ以降は所属の派閥が固定化することになったのです。つまり、派閥のトップが代替わりしてもほとんどの所属議員はその派閥に残るようになったのです。こうした派閥の制度化は『総主流派体制』の成立とともに深まりました。80年に起きた現職首相の急死の影響で、派閥のトップでもなく過去に総裁選挙に出た経験もない政治家が首相に抜擢されました。その際、挙党一致ということで主流派や反主流派といった区別無く、全ての派閥の規模に応じて閣僚を出す総主流派体制を取り、これが派閥の制度化や派閥同士の対立争いを弱めていきました。政策的にも派閥によって割拠性が出ていた自民党は、派閥の制度化によって統一を保てるようになりました。

 一方で自民党内の人事経路も固まってきます。創設初期においては、官僚出身者が選挙を経ずに入閣したり、官僚経験をもとに閣僚に抜擢される例は少なくありませんでした。しかし政権を維持する期間が長くなると、党内に当選回数とともに大臣になることへの期待が高まってきます。総主流派体制が成立すると、規模に応じて各派閥に一定の閣僚枠が振り分けられるようになります。そこに一定の客観的基準が必要になり、そこで当選回数がある程度以上の議員は大体の場合において入閣できるという不文律が生まれます。自民党が政権の座に留まるためには、常に選挙に勝つ必要が出てきます。その為には、選挙で戦う自民党議員に当選への強い欲求を作り出すことが必要になってきます。そこで、選挙に勝ち続け当選回数を増やしていけば大臣になれる、という仕組みを作ることは候補者に対して強力なインセンティブを与えることになるのです。実際、官僚内閣制のもとでは誰が大臣になってもそれなりに務まるように官僚が仕事を行うのでその点でも好都合です。大臣というポストを色々な議員に分配するには、特定の議員が長い期間に渡って大臣を務めるのは好ましくありません。そこで、毎年のように内閣改造が行われ、一年程度の短い期間で大臣が交代することになります。任期間が一年ほどでは、とてもまとまった仕事を行うことは難しくなります。そこで、政府や各省庁の政策を審議する与党政策審議機関の活動がますます重要になっていくのです。このように、官僚内閣と与党は相互依存を深めながらそれぞれ発達を遂げていきました。

 与党組織はあくまで非公式な組織であって、法的主体ではありません。そこでの活動は非公開性が強く、責任の所在は明確ではありません。このように法的責任が内閣にありながら、与党期間に実質的な決定権がある場合、責任と権力の関係に隙間が広がり与党政治家による責任の追求されにくい活動が広がっていくのです。

 

 

日本の統治構造(5)中央政府と地方政府

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お久しぶりです。今回は『日本の統治構造』(著 飯尾潤)の5回目ということで日本における中央政府と地方政府の関係について書いていきます。

 

 前回に、日本の政策は立案と決定が近接していることが、政策実施の観点からも良い方向に働くということを述べました。ただ、実際の政策実施に関して考慮すべきところがあります。それは、外交政策、防衛政策などを除いた多くの政策を実施しているのは都道府県や市区町村などの地方政府(地方自治体、地方公共団体)であって、中央省庁は地方政府に政策実施を委ねている点にあります。近年まで、日本の中央政府と地方政府の関係について、中央集権的な性質を持っていると批判されてきました。しかし、90年代後半に制定された地方分権一括法が『地方公共団体』と『国』は対等であると規定したほか、各地方公共団の首長の活躍も相まって地方分権が急速に進んでいるのも事実です。

 このように地方自治が語られる際には『分権』か『集権』かが問われる事が多いですが、問題はそれほど単純なものでもなく、『融合』か『分離』という軸も重要になってきます。中央政府が自らの政策領域では直接実施を担い、地方政府が独自に立案、決定、実施を行なっているとき両者は『分離』しています。この時、中央政府の権限の範囲が広い場合は集権的であり、そうでない場合は分権的になります。しかし、両者が融合している場合は話が複雑になってきます。多くの制作領域においてお互いが協力し合って仕事を進めている場合にはどちらが主導権を持っているのか見極めるのは難しくなってきます。実際、戦後日本の中央政府と地方政府の関係は融合的でした。例えば、義務教育を保障するのは中央政府の役割だと理解されていますが、実際に小中学校を運営するのは地方公共団体ですし、中央政府が用意する補助金は全体の半分であって、残りは地方政府が負担しているのです。また、警察の運営は地方自治の領域とされ、警察官の給与は地方政府が負担します。しかし、幹部以上の人事については中央の警察庁が行い、各都道府県警の店員も警察庁によって決められています。こうした例はあらゆる領域に広がり、ほとんど地方政府に最良の余地がない業務であっても、中央政府が費用を全額負担することはせず、実際に実務を行う地方政府が不足分を調達する必要があるのです。

 

 こうした仕組みを制度的に象徴していたのが機関委任事務制度というものでした。これは、中央政府の仕事を都道府県や市区町村が行う場合、その事務の仕事は地方政府が中央政府の機関として行うものであり、地方政府が行う仕事ではあるが、地方政府の領域ではないとする制度です。地方政府は業務の実行を拒否できず、地方議会も関与できませんでした。この制度は99年に成立した地方分権統一法で廃止されましたが、地方政府を国の機関とする見方は戦後長らく続いていました。もっとも、この制度があったからこそほとんどの中央省庁は制作実施を地方政府に委ね、自分たちで実施することが少なかったのです。その点では、この制度には二面性があり、一方で中央集権的に作用しながら、他方で地方政府の実務範囲を広げる働きもありました。その為、現在の日本の地方政府は諸外国と比べても以上なほど幅広い業務をこなしています。この事は特に注目されるべきことでしょう。

 この中央と地方の融合関係は高度経済成長の最中、まだ社会やインフラが成熟していないときは一定の成果を上げていました。例えば、外国の制度を調べて、新たな政策を中央政府が導入し、それを中央省庁の官僚の指示のもとに地方政府が実施するといった形です。80年代ごろから社会が成熟してくると、より高度な行政が求められるようになったり、それぞれの地方公共団体によって求める政策が違ってくるようになってくると、中央省庁の官僚は次第に現場の感覚とずれていきました。こうした状況では官僚の指示で地方政府が政策を実施するという形での運用は難しくなってきます。このように、日本の官僚制は意外にも政策実施に疎いという弱点を持っているのです。

 

 日本の財政における国民負担率から考えると、日本は先進諸国の中でかなり低い水準にあり、歳出総額からすれば中ぐらいの水準になります。公務員数から見れば、中央政府はもとより、地方政府を含めても人口比率はかなり少ない値になっています。こうした結果を見るとむしろ日本は比較的小さい政府を持っているということになります。しかし、実際に日本政府にそういった印象を持つ人は少ないでしょう。むしろ、中央政府が大きな権限を持って積極的な活動を行ない、社会の隅々まで影響力を行使していると考えられています。それはなぜなのでしょうか。

 まず、各省庁が持つ関連団体の多さです。例えば、公社、公団といった特殊法人です。また、民法に根拠を持つ財団法人や社団法人など公益法人であっても、実際には各省庁によって設立された団体が存在します。それどころか株式会社であっても、空港を担当する株式会社があるように、実質的に省庁の関連機関である場合もあります。事業者などが設立する業界団体も純粋な団体のように見えますが、各省庁の働きかけでできた団体も少なくありません。そのため、監督官庁が強い影響力を持っていることもあります。こうした団体がメデイアなどで問題になる時は、天下り補助金などが問題になりますが、そういったものが理由もなく存在するわけではありません。関連団体が政策実施に関して協力したり、実施そのものを行う場合もあります。また、政策立案に際して関係者の意見集約や、調査業務を関連団体が行う場合もあります。こうした関連団体を持っていることで各省庁の活動領域が外に広がっていくのです。

 このような現象は先進国全体に共通して起きており、こういった協力関係を『政策ネットワーク』と言います。この中でも、政策課題ごとに偶発的に関係が生まれる『イシューネットワーク』と、関係者が長期的に関係を結ぶ『政策コミュニティ』がありますが、日本は比較的に後者が多いとされています。さらに、関連団体のように政府の活動が社会に根付いている場合も多いです。例えば、税の徴収における源泉徴収などです。日本では源泉徴収に加えて複雑な税額計算まで、民間の会社がそれぞれ税務署の代わりに行っています。多くの給与取得者は、税務署と関係を持たないまま納税という重要な行為を終了することになるのです。こういったことは、企業の経理部門が政府の役割を一部肩代わりしている事例であって、見方を変えれば政府機能が会社の中まで浸透指定いるということにもなるでしょう。

 このように考えると、官僚内閣制では官僚が独自の支配集団を形成しているのではないことが分かります。一見して特権的な地位を築いているように見える官僚ですが、地方政府を使って政策を実施していると同時に、彼らの意向にも左右されています。また多くの関連団体を持っている省庁では、そうした団体の利益を代表する必要も出てきます。また、関連団体も自分たちの利益の代弁を官僚に期待しています。その意味では、日本の官僚制は社会的な利益の代弁者でもあると言えます。前回、政策形成において多くの場合は所轄課から始まるように説明しましたが、本当の出発点はそれぞれが抱えている関連団体なのです。政策をボトムアップ形式で形成していくことは、政策実施の観点からも有利であると述べましたが、それは実際に実施を行う地方政府や関連団体の意向を踏まえて、政策立案を行っていたというのが実態でした。日本の官僚制が社会に根ざした構造を持っているということは、一見官僚制の独自性を損なうように見えますが、それ以上に官僚制が社会的な基盤を持つことがその活動を支えるということが大事なのです。

日本の統治構造(4)日本の官僚制の特質

 

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お久しぶりです。今回は『日本の統治構造』(著 飯尾潤)の4回目ということで日本における官僚制の特質について書いていきます。

 

 日本の各省庁の特徴は、諸外国の中央政府と比べて、非常に変化が乏しい所にあります。大掛かりな象徴再編が長い間行われず、新しい役所がいくつか出来たものの2001年に行われた省庁再編が行われるまで実に半世紀以上もの間、同じ体制が続いていました。

 まず日本の官僚制の大きな特徴として挙げられるのが、人事の自立性です。官僚たちは個別の人事に関して外部からの支持を受けるのではなく、自分たちで決定を行っています。政治家が自分の好きな人を指名できる狩官制を廃止して、資格合格などの一定の資格を要求する資格任用制度を採用しています。中央省庁の役人は『キャリア(有資格者)』と『ノンキャリア(一般職員)』に分けられ、双方の人事がそれぞれの省庁や部署ごとに分割されていて、それぞれが安定的に運営されています。その中からさらに事務系と技術系に分けられ、それぞれに独立した人事システムが存在します。

 しかし、こういった官僚の人事に手をつけることは簡単ではありません。例えば、事務系と技術系の区別、キャリアとノンキャリアの区別などは法律には全く記載されてなく、実際の人事の仕組みも慣行で行われているのです。その為、法律改正などを行っても現に行われいる慣行を変化させることができるかどうかには疑問が残ります。

 そもそも、官僚人事の主体が曖昧なところもあります。法律上の任命権者は大臣なのですが、資格任用制度があるせいで大臣が個別に人事を行う事は難しくなります。それに加えて、ある一人の人事を変えようとすると、前任者の行き先、新任者の選任、など連鎖的に行わなければいけない人事も多いのです。その為、事務型が作成する人事案に従うしかない事が多く、結果的に官僚の人事は官僚自らが自律的に行っているのです。

 

 省庁という単位は予算や組織運営手段としても、自立性を主張する単位になります。その為、公共事業の分野別の予算比率が長い間一定であったように、省庁や局ごとの予算や運営方法を守ろうとする力が働いています。予算に関しては、予算を獲得することが次へと繋がる為、出来るだけ自らの予算を減らさず少しでも増やそうとすることを第一目的にします。これは、官僚制では一般的な特質でどこの国でもある事である。しかし、日本では後に詳しく述べるように『所轄権限』が大きな意味を持つため、いわゆる権限争議という、それぞれが所轄権限を確保しようとする省庁間の争いが激しくなる傾向にあります。

 こうなってくると、予算枠や権限を確保することに関心が集中し、獲得した予算の使い道や権限の行使無いという倒錯的な現象すら起きてします。一旦確保した予算や権限の領域内で行うことは、自動的に政府の決定ということになるので、競争相手も現れることなく、当別な不祥事ぐらいのことを起こさなければ批判されないという構造のためです。そこでこういった体質を持った日本政府を『省庁連邦国家』と認識することもできます。官僚内閣制においては省庁そ主体とする政治体制が前提とされいますが、その省庁がそれぞれ自立性を持っているならば、日本政府は連邦国家のように把握できてしまいます。

 

 こうした構造を持つ各省庁で政策がどのように作られているのか見ていきたいと思います。もちろん、政策の種類によって違った政策形成パターンがあるのは当然なので、今回は典型的な例に注目したいと思います。まず、新たな政策が求められる状況になると、その情報や要求が多方面から寄せられます。大臣が特定の政策に興味を持ち、政策の立案を命じることもあれば、関心のある国会議員が案件を持ち込むこともあります。しかし、各省庁のキャリア官僚は新規政策の立案に生きがいを感じており、また予算獲得のためにも新規政策を必要とします。その為、省庁内に新規政策や政策変更のアイデアが存在することが多いです。この時、政策分野に関連する所轄部局の責任者が新規制作の必要性を訴え、上層部の了解を得る場合が多いです。そしてその後は政策の基本的な方針について、省内で合意を確保するために公式、非公式の会議が行われます。もちろん省内に対立意見があったり、関係する組織や政治家の意見が分かれている場合には、それを調整することが前提になります。その際重要になってくるのがどの部局が立案を担当するのかという調整であり、ほとんどが所轄省、所轄局、所轄課という形で、特定の部局の中に位置付けられます。

 また、部局間の丁寧な合意形成の手順が踏まれるのも興味深い点です。例えば、各種会議に、その問題に関係する部局から官僚出席して、政策のあり方に議論しながら合意形成を進めていく。さらに、所轄部局の担当者は政策の原案を持って各関係部局を訪ね、合意を得て回ります。こういった合意形成の手順が日本官僚制における意思決定の重要な特徴です。局内の所轄課が他の関係課から合意を得るところから始まって、所内の関係局、他省庁の関連部局というように対象を広げていきます。その過程で、自民党を中心とする与党政策審議機関や関連する議員に対する説明や合意形成も同様の手順で行われます。

 ここで注目するべきなのは、上記で挙げた政策立案と政策決定の近接です。官僚がいくつか原案を作成し上位者に提出し、それをもとに大臣などが意思決定を行うという事例は珍しいのです。所轄部局による提案と合意形成を通した組織的な調整過程を経て、政策が立案されるのと同時に決定されるのが日本の官僚制における通常の意思決定過程です。誰かが意識的に決定するというよりは、相互作用の中で次第に形成されていくのです。

 もちろん、現代の複雑な組織では、こういった意思決定方法が有効な局面も少なくありません。しかし、ほとんどすべての政策がこういった方法で決定されると、歪みが生じてくるところもあります。合意形成の対象となる組織や官僚が、強さの差はあるにしても一定の拒否権を持つことになり、合意形成に時間とコストがかかるだけではなく、従来からの方針転換も難しくなってきます。また、担当する部局が決まらないと政策決定ができないため、問題の処理の単位が小さくなりがちです。その意味では、日本全体の課題に対処するには問題が多い仕組みでもあります。ただし、政策決定が現場に近い所轄課で行われることには利点もあります。それは、政策実施の責任を持つ部局が政策立案、決定を通じて強い発言権を持っている為、現場の実情や政策実施に関した問題などを踏まえて、立案や決定を行える事ができます。また、担当者が実施すべき政策の内容をよく理解している為、順調な政策実施がなされやすいという利点もあります。

 

 予算に関しても政策と同じような方法が取られています。課から局へと予算要求の検討が送られ、その後は各省庁と財務省の予算交渉が始まります。ここでも、対面式の交渉スタイルが取られ、予算の内容によって交渉相手を変えながら進んでいくのです。このように日本の予算編成の特徴は、イギリスなどの諸外国に見られるような、分野別の振り分けを決めてから細かい内容を決定するという形式を取らないことにあります。積み上げの過程で調整を行うので、安定感はあるものの、大規模な変化の起きない調整にならざるを得ません。

 内閣法制局による法令審査も日本政府の意思決定の調整に大きな役割を果たしています。これは内閣提出法案に関して、閣議決定前にその法案が既存の法令と矛盾しないか、内容に不備は無いかなどを内閣法制局の官僚が確認するものです。この審査は法案を用意した各省庁の官僚にとって大きな関門として意識され、これを突破するために多大な労力が注がれることもあります。特にこれまでの法体系にはない新しい考え方を含んだものが発案されたときには、既存の法令との整合性が問題になり、法制局が新しい法文の書き方を認めないこともある。これは、日本のう法令体制をできるだけ統一的で相互に矛盾のない規定によって構成するべきであるという考え方に基づいています。イギリスやアメリカなどはこういった考えを持っていません。彼らは『後法は前法を破る』『特殊法は一般法に優先する』といった概念をもとに法令の重要性を判断し、最終的には裁判による判例の蓄積で問題を解決しようとします。日本はこれらの国に比べると異常なほど細かいチェックがなされ、現行の法令の整合性が保たれています。ただ、新たな政策的な工夫が法律表現の面から成立しなかったり、政策改正を妨げたりしてしまっています。

日本の統治構造(3)空洞化する内閣

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お久しぶりです。今回は『日本の統治構造』の3回目ということで、空洞化する内閣について書いていきます。

 

 議院内閣制の原理を確認すれば、議会による首相の選出という点において、日本政治の最高意思決定者は首相であることは明確です。それ故に、議院内閣制は19世紀から20世紀にかけて首相中心の内閣という形で広まっていきました。

 戦後GHQによって制定された日本国憲法でも、強い権力を持った首相中心の議員内閣制を目指して作られました。特に分かりやすいのは、大臣の職能は『主任の国務大臣』として法律や政令に署名するとしか記述されていませんが、総理大臣に関しては、『内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する』とあります。この中でも行政各部の指揮監督に関する記述は重要で、この記述を強く解釈すれば、総理大臣は行政の仕事を各省庁官僚を使って行政事務を実施する権限が与えられていると解釈できます。実際のところは、当たり前のように各国務大臣が各省庁を指揮監督しているのですが、憲法にはどこにもそういった大臣の権限の記述はありません。

 ところが憲法を受けて制定されているはずの内閣法では、戦前の権力分散的な内閣を思わせる条文があります。内閣法第3条に『各大臣は、別に法律の定める所により、主任の大臣として行政事務を分担管理する』といきなり総理大臣と他の大臣を区別せずに、各大臣による行政の分担管理が記述されています。この条文を強く解釈すると、総理大臣の権限は大きく制限されることになります。先の条文に倣えば、総理大臣は内閣府の長としての権限しか持っておらず、その他の省庁に対する指揮監督権を行使できないことになるのです。少し前までこういった解釈をもとに、総理大臣が自ら閣議に議案を提出することはほぼありませんでした。90年代後半に行われた行政改革によって『内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議する事ができる』とわざわざ内閣法に書き込んだほどです。このような強い分担管理が行われている内閣では、各大臣がそれぞれ別の基盤を持って集まる場所だと考えられてしまいます。このような状況では、有権者から続く信任の繋がりは断たれてしまいます。官僚からなる各省庁の代理人である大臣が集まる内閣である『官僚内閣制』は分担管理の原則によるところが大きいのです。

 

 最近になって問題に上げられるのですが、閣議で行われるのは署名だけなのだといいます。各省庁の官僚によって根回しが終わった案件を追認するしか仕事がなく、主な仕事は法案や政令に花押という日本古来の特殊な署名をするだけなのです。もちろん、事前の根回しに大臣も含まれている以上、こうした決定がおかしいわけではありません。しかし、会議としての閣議が機能していないのは大きな問題をはらんでいる。大臣同士が話し合って上層部で決断が行えれば政治的な判断を含んだ決定ができるが、官僚に根回しを任せてしまえばどうしても微調整にとどまってしまいます。

 閣議がこうなってしまった背景には、それなりの理由がありました。内閣が連帯責任を追っている以上、その決定は全会一致が自然になります。憲法のもとでは、総理大臣が基本的な方針を共にする大臣を任命し、内閣を構成します。総理大臣を中心にして意思決定を行うなら全会一致でも特に不都合はなく、極端な場合には意思統一のために意見が違う大臣を御免することもできるのです。それを前提にすれば当初意見が違っていても、討論の結果として意見が全会一致で方針を決めるのがあるべき閣議の姿となります。

 全会一致が問題になるのは、大臣それぞれが独自の意見を持っており、しかもそれを変更する手段がない場合です。戦後日本の内閣制はまさにそういった各省庁の代表が集まる内閣として機能していました。そこでそのまま討論しても、全会一致になるはずがないのです。全会一致が求められていて、好きに意見が述べられるなら、いくらでも譲歩を引き出す事ができます。そうなると、事前に根回しをして妥協案を探してからそれに沿って全ての大臣や省庁の合意を取り付けてから閣議に提出するのが、閣議決定するための条件になります。閣議までに合意を得るために必要だと言われているのが、閣議の前日に開かれる事務次官会議です。そこで反対が出なかった案件だけが、閣議の議題とされる慣行があるのです。それ故に、この事務次官会議こそが官僚支配の象徴として語られるのですが、こういった一つ一つの観光に問題があるのではなく、内閣や閣議の性質に対する誤解を解かない限りは事務次官会議を廃止しても、実態が変わるとは思えません。

 このように、議院内閣制における『議院』の意味をよく理解しないと、議院内閣制が議会を通して国民の信任を受けて行政を行う仕組みであるというのを忘れてしまいます。議院内閣制という言葉を使いながら官僚内閣制として理解し『議院内閣制だから首相はリーダーシップを発揮できない』という考えが広まってしまうのです。

 さらに、『政治』と『行政』という言葉の使い分けも混乱を引き起こしている原因の一つです。政治と行政を比べた場合、それぞれを担うのは政治家と官僚であると考えるのは自然だと思います。しかし、それと関連した『立法権』と『行政権』という言葉を政治と行政に当てはめてしまうと、政治家が立法権を担い、官僚が行政権を担うということになってしまいます。しかし、議院内閣制では政治家が立法府を構成するとともに、立法府の政治家のうち一部が行政府の上層部を構成します。つまり、立法府と行政府の主体は政治家でなければならないのです。そして、政治と行政という区別は行政府の内部における仕分けなのです。行政府の方針を決めるのは政治家の仕事ですが、それを実施するには政治的に中立である官僚が行うことが

大事になります。行政の政治的な中立という原則はまさにこういった所で有効になるのであって、行政権自体は政治的に中立であるはずがないのです。

日本の統治構造(2)議院内閣制からの逸脱

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お久しぶりです。今回は『日本の統治構造』(著 飯尾潤)の2回目ということで議院内閣制から逸脱した日本政治について書いていきます。

 

 現在の日本の政治体制を見ると、議院内閣制の原理から逸脱した現象が目につきます。国会議員の役割は立法だけではなく、内閣を支える政党に所属し首相を選んだり内閣を支えたりする議員と、内閣の権力を監視しながら次の選挙で政権を狙う議員がいます。それゆえに、衆議院選挙は立法活動を行う人を選ぶ機能もだけではなく、政権を選ぶ意味も持っています。一般の有権者にとっても総選挙で政権を選んでいるという意識は多かれ少なかれ持っている事でしょう。

 しかし実際のところは55年体制が成立してから長い間自民党による政権が続き、選挙による政権交代はほとんど起こっていません。そのため、総選挙において政権を選択する事は認識していても、それが首相を選ぶことに繋がるという意識は低い傾向にあります。政権を担う政党が自民党であるというのが自明である場合、首相選びは自民党内の総裁選で選ばれることになり、有権者から国会議員、国会議員から内閣総理大臣という権力委任の繋がりは薄くなっていきます。

 大臣の権力は首相から任命されることで生まれます。それゆえに、内閣として同じ行動原理を持ち連帯責任の原理が働きます。しかし、長期にわたる自民党政権ではこういった大臣の選任の仕組みが曖昧になっていました。当選回数が基準となり、各派閥から首相に推薦されたメンバーリストが渡され、首相はそこから選ぶという慣行が生まれていました。もちろんその中から誰を選ぶかは首相が決める事ができますが、当選回数が基準となり、派閥からの推薦が必要になるとすれば入閣が権利化してしまいます。派閥推薦という条件が加わることによって有権者から完了まで続く権力委任の繋がりの中に異物が入り込んでしまうことになります。そして首相の為に働くのではなく、自分が所属している派閥の為に働くという動機もできてしまいます。さらに、誰もがなりたがる大臣のポストを他の議員に分配するために、頻繁に内閣改造を行って、原則的に大臣の任期は一年という慣行も生まれました。たった一年では大臣として完成させるべき仕事も大幅に制約されるし、経験を積むことで大臣としての能力を伸ばすという機会も失われてしまいます。そういった環境では、大臣が官僚を使いこなして行政を適切に運営して行く事は難しくなり、官僚の言われるがままに行動する大臣が生まれるのも無理はないでしょう。

 現在では大臣は分担した役所の長である、という認識が広まっている。分担自体には何ら問題は無いのだが、組織の長という認識が強いと、議院内閣制の権力委任の繋がりが逆転してしまう。それでは、内閣は首相を中心とした組織ではなく、それぞれが拒否権を持った役所の長である大臣が集まった組織となってしまい、議院内閣制は機能不全に陥ってしまうだろう。この現象を、議会を背景としている議院内閣制に対して、官僚からなる省庁の代理人が集まる『官僚内閣制』と表現することもできるでしょう。

 こうした日本における議院内閣制の変質は、時として大きな問題を生み出します。それは、政府における最終意思決定の主体が不明瞭化し、直ちに必要な決定ができなくなってしまうことです。実のところ、日本の議院内閣制の問題として指摘されることの大半は『官僚内閣制』の問題点なのです。