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日本の統治構造(8)各国の政治体制の比較

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お久しぶりです。今回は『日本の統治構造』(著 飯尾潤)の8回目ということで各国の政治体制について比較していきます。

 

 イギリスは近代議会制、議院内閣制の発祥の地であり、早い時期から立憲制や民主制が根付いた国でもあります。それ故、アメリカやフランスと言った例外を除いたほとんどの欧米諸国がイギリスの制度を模倣しています。イギリス政治を見る場合に注意しなければならないのは、早期に成立した絶対君主制と議会が争い、議会が次第に王権から権力を奪っていったという点です。それに加え、イギリス王権は早期に官僚制を作り出すことに成功していて、基礎固めされた官僚制は当初は絶対君主制の、のちには政府の道具として機能することになります。

 現在のイギリスの統治体制が出来上がったのは、17世紀の内乱を経て、1688年の名誉革命で議会が勝利したことにあります。議会が実権を握りながら、国王の名の下で統治する体制が出来上がってくると、議会の中の党派が行政権を奪い合うようになります。ここに二大政党制が成立します。19世紀になり、保守党と自由党の二大政党を前提に次第に選挙権が拡大されていき、議会は民主制の舞台として機能するようになっていきます。同時に二大政党の組織化が行われ、次第に党首に権力が集中していくようになり、イギリス型の議院内閣制は首相に強大な権力を渡すようになったのです。さらに選挙における公約も整理、プログラム化されていき、『マニュフェスト』が政権運営に重要な意味を持ってくるようになります。ここに総選挙で政党、首相候補、マニュフェストを選択するイギリス型の選挙が定着することになったのです。

 一方で『政府』は選挙に勝利し、議会の多数派を占めている政党の幹部が構成する内閣のことを指すようになります。イギリス型の議院内閣制とは、期間限定で強大な権力を認め、政党同士の競争によって緊張感を保つという仕組みなのです。選挙においては、全国的に労働党、保守党、自由党という三大政党争っていて、議会は二大政党制ですが、社会全体を見ると単純な二大政党制ではないのです。また議会においては多数決が採用されているため、政府が提出する法案はほとんど成立しますが、その過程においても活発な討論がなされます。このようなイギリス型の政治の仕組みは議院内閣制の理念型としての地位を占めています。

 

 アメリカはその独立の経緯からイギリスの強い影響を受けながらも、それとは違う方向を目指しています。何よりも独立戦争は、植民地の独自性を認めないイギリス議会に対する反乱であり、『代表なくして課税なし』という言葉がスローガンとして機能したのも強大なイギリス議会を存在を抜きに理解することはできません。そもそも独立を果たしても、連邦制の導入にには反対も多く、憲法制定の課題は連邦政府の規模と権力の抑制でした。その為、合衆国憲法はさまざまな権力分立策をとっています。連邦政府の権限は憲法の条文で委託された項目に限定されており、立法、行政、司法の厳密な分立制も定められています。立法権に関しては、権限の対等な二院制に分けられ、両院の意見が一致している場合のみ法が成立します。その立法についても大統領に拒否権が与えられるという抑制的な制度になっています。外交や軍事に関しては大統領に権力が集中していて、緊急時には大統領に権力を集中させ、平時は抑制的な議会が立法した事項について政策実施していくことが求められていました。

 実際に政府が成立すると、大統領選挙などのために党派対立が生じ、それが政党の形をとるようになります。権力分立制のもとで議員の行動もバラバラではありますが、大統領選挙に際しては全国が政党化され、各地において一定の安定した政党組織を有する二大政党制が政治基盤として確立しました。第一次世界大戦の参戦するなど国際政治の舞台に上がり、経済大国化したアメリカでは行政府の役割が重いものになっていきます。また各州における都市問題への対処や産業基盤整備のための政策など、それに対応しなければならない連邦政府の仕事の範囲も広がっていきました。そして、大統領が外野軍事を一元的に処理する立場に置かれているため、経済大国化したアメリカでは大統領の役割が重くなっていきました。

 1930年代の大恐慌後の経済再建と、ルーズベルト大統領によるニューディール政策、戦争指導が相まって、連邦政府は巨大な行政国家化していき、それに合わせて大統領の重要性が明確になっていきました。以後、大統領は積極的に政策の立法の主導や司法に対する一定影響を与えるようになってきます。また、議会においても大統領の任期によって議会選挙が左右される現象が起きてきて、大統領の議会への影響は無視できないようなものになっていき、厳格な三権分立の原則が緩やかに崩れていったのです。それでも権力分立が顕在化するのは、大統領職や議院を異なる政党が制する『分割政府』が起こった時です。アメリカ政治の特色とは、常態化する分割政府状態を前提に、複雑な駆け引きによって政治活動、立法活動が行われている点にあるとも言えます。このように、アメリカの政治体制は建国期に想定されたものとは全く違う形に移行しています。その意味で大統領優位の政治形態は歴史的経過を辿って形成されたものであると理解しなければいけません。

 

 フランスは長い伝統を誇る国ではありますが、政治体制の変更が多く、現在の政治体制は欧米先進諸国の中で最も新しいものです。フランス近代政治史は、18世紀末のフランス革命に始まりますが、革命で樹立された体制は議会中心とも呼べるようなものでした。その後、さまざまな体制を経験し、フランスの政治体制は第三共和制(1870 - 1940)、第四共和政(1946 - 58)として元首としての大統領が存在していたものの、基本的には議院内閣制の国となりました。ただ、第三、第四共和政は内閣が安定しない政治体制でした。議会には数多くの政党が乱立しており、離合集散がしばしば起こっていました。一旦成立した内閣も、連立政権を構成する政党が何らかの理由で政権離脱することによって、短命に終わることもありました。

 そしてついに、1958年のアルジェリア危機において政権が軍部の統制に失敗すると、第二次世界大戦の英雄でもあり、軍人政治家としての実績もあるシャルル・ド・ゴールに内閣の組織が委ねられ、第四共和政は終わりを迎えます。これにより成立した第五共和政は政治制度としては分かりにくいと言われています。大統領が直接公選になり、大統領任命の首相が組織する内閣が残ったからです。この内閣は議会の信任を必要としており、議院内閣制的な側面も持っています。そこで大統領に議院内閣制の要素が加わっているという意味で、フランスの政治制度は『半大統領制』と呼ばれています。シャルル・ド・ゴールが大統領であったときは、圧倒的な威信によって議会選挙においてもド・ゴール派の諸政党が多数を占めました。だが彼の後継者の頃から、大統領の支持基盤となる政党と、議会で多数を占める政党が異なることがしばしば起こることになります。これを『コアビタシオン』と呼びますが、これによって半大統領制が機能不全に陥る可能性が出てきました。

 しかし大統領の地位が保障されているため議会側も関係を調整せざるを得ず、また逆に大統領も議会なくして政権運営が出来ないため、双方の妥協が図られるようになります。コアビタシオンの際には、外交、軍事に関しては大統領が責任を持ち、内政については内閣側が責任を持つという住み分けが行われるようになります。ただ近年の傾向では、複数存在した政党も二大政党に整理されるようになり、二大政党の激突である大統領選挙を軸に議会選挙も連動するようになったのです。このように、半大統領制は、その制度の複雑性にもかかわらず、政権選択という点を軸に議院内閣制の利点と大統領制の利点を兼ね備えた性質を帯びるようになってきました.

 

 先にイギリスとアメリカの政治体制を紹介した際、イギリスの議院内閣制が権力の集中をもたらし、アメリカの大統領制が権力の分散をもたらすということを見てきました。しかし、例えば日本と韓国の政治体制を比較した場合、日本の議院内閣制が権力の分散をもたらし、韓国の大統領制が権力の集中をもたらすという興味深い関係にあります。この二つの例を見ただけでも、議院内閣制と大統領制のもたらす結果が一様ではないことがわかります。

 韓国の大統領制アメリカと比較した際の大きな違いは、権力分立という概念の定着どの違いが挙げられます。アメリカでは中央政府の権力を抑制することが強く意識されているのに対し、韓国では伝統的にそうした法の観念が弱いのです。また議会制の伝統が浅く、議会が国民統合の主役となることは少なく、むしろ大統領への人格的な期待が民主制への移行前から強い傾向にあります。韓国では大統領主導によって形成された政党が与党として、議会の運営でも中心的な役割を担うことが多かったです。大統領が議会をコントロールすることに疑問が無く、政党や議会が大統領に対抗する役割を果たすことは少なかったのです。

 この場合、憲法の規定で大統領の留任を認めない『単任制』が大統領への抑制として期待されていました。しかし大統領が後退するたびに、前任者やその親族たちによる不正が告発され、前任者の権威が失われた事実を考えると民主的な権力移譲が制度化されていないと言わざるを得ません。こうした権力分立ではない大統領制ラテンアメリカなどでも広がっています。ただ多くの場合において大統領中心制は議会制や政党政治が必ずしも確立していない国で見られ、また立憲制が浸透していないため、容易に強権政治へと逆戻りする例も少なくありません。民主制や立憲制の定着との関係で注意深い観察が必要なのかもしれません。

 

 このように権力の配置から政治制度を見た場合、議会制が定着していれば議院内閣制の集中を指向し、大統領制は権力分立を指向しますが、もう一つ注目しておかなくてはいけないのは行政権の構造です。イギリスでは政治権力がする傾向にありますが、政党政治が弱い場合には別の力が働きま、。立法権と行政権が融合していく中で、行政権が分散的傾向をとることによってバランスを取る側面があるとも言えます。それに対して、アメリカでは行政権は大統領に集中するため、実効性はともかく権限の上では大統領に権力が集中し、極めて強い権力核が現れます。このように行政権の内部構造に着目すると、イギリス型の議院内閣制とアメリカの大統領制との関係は、前者が分散的で後者が集中的というように政治権力と逆転した関係が成立します。議会にまとまりがなく、安定した内閣基盤を作ることが難しかったフランス第四共和政の危機を大統領制の導入が救ったのも、国民の指示で権威を得た大統領の下に行政権力を集中することで、権力核を作り出したことにありました。

 しかしこうした体制がうまく機能するためには、大統領選挙を有効に行いえる安定した政党と、競争にさらされる政党システムの成立がなければなりません。大統領制で実績を上げるためには、議会との調整をいかにこなすかという課題が大きいです。この課題は議会の権力が弱ければ問題にならないように見えますが、議会が弱いことは代議制の構造が弱いことであり、民主制の定着との関係で問題を生じさせる可能性も高いです。このように考えると、直接公選や行政権の集中だけで、権力の集中が達成されるわけではありません。必要な権力核の創出と民主的なコントロールの確保が実現するかどうかは、政治権力の配置だけではなく、社会的な状況、政党の支持基盤などの要素、国民の価値観などの要素が関係してきます。実際、アメリカの権力分立制が近年大統領中心の政治体制の移行しているところを見ても、現代においては権力分立制の貫徹は困難であると思われます。